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スペイン・カップ:セビージャ- ラシン・デ・フェロル (6-2)

セビージャの攻撃は後に、FWストゥカの愛称で呼ばれるようになりました。セビージャはカップ戦で初めて決勝まで進んだフェロルを下しました。

Alineación ganadores Copa de España 1939

開始5分にはセビージャが先制。ライムンドがチャンパナルから正確なパスを受け、1-0のゴール。15分後、セビージャはフェロルのゴールを攻めたて、カンパナルが2-0に。1分後には再びカンパナルが3点目を決め、試合を決定づけましたが、信じられないことにアリバス主審がゴールを無効に。一部の観衆は、この試合において、政治的な理由で不正なジャッジが下されるのではないかという不安が頭をよぎりました。フランコ将軍の生誕地がフェロルのためです。

27分、疑問は晴れました。カンパナルが30メートル以上離れたところからシュートを放ち、3-0としました。このゴールは認められ、試合を決定づけました。セビージャのプレーと大量点に観客は興奮。戦後間もないこともあり、セビリアの人たちにもフェロルの人たちにも移動が困難な時期だったので、ほぼすべての観客がカタルーニャ地方の人でした。

この試合のトピックは、スペイン史上、初めてラジオで放送された試合になったことです。ニュースによると、ラジオ・バルセロナが放送。ただ、当時、技術的にセビージャで放送を聴くことができたかは不明です。前半37分にライムンド、41分にはトロンテギがゴールを決め、スコアは5-0。

Ganadores Copa de España 1939

500ペセタの賞金

後半、セビージャは大量リードのためリラックスムードとなり、フェロルが反撃、シルバサが2点を決めました(そのうちの1点はPKで、実際はPKではないプレー)。セビージャが再び試合に集中し、62分、カンパナルがフェロルのアルベルティから6点目を奪い、試合を決めました。6-2のスコア、セビージャはボールをキープし、試合終了のホイッスルを待ちました。

ロッカールームでラモン・サンチェス・ピスフアン会長は選手たちに来シーズンの開始前、一人あたり500ペセタが渡されることを発表しました。選手たちは勝利の祝いをするため、サンチェス・ピスフアン会長に支払いの前倒しを希望。滞在先であるカタルーニャ地方のリッツホテルでの会食を企画しました。会長は会食を快諾し、モスカルド将軍も招待されました。

カンパナルが3ゴール。

セビージャへの到着は歓喜に包まれ、バスの通過点は大々的に飾られました。ベルギー産のミネルヴァ社製のバスは30年代にセビージャによって購入され、すでにスペイン・カップを2度も運んでいます。セビージャでは、トルクアト・ルカ・デ・テナ市長に迎えられ、セビージャのキャプテンはトロフィーを市長に手渡しました。

セビージャでも逸話が生まれました。セビリアの人たちが選手たちを歓迎できるよう、大工が大急ぎで移動舞台を作りましたが、結局、選手たちは舞台には上がらず、バスの屋根に乗り、プエルタ・デ・へレスから市役所までの道で祝福を受けました。最後は大喝采を浴び、セビリア楽団の合奏を聴きました。

試合記録

6. セビージャFC: ブエノ、カジュソ、ビジャロンガ、トロンテギ、フェリックス、レオシト、ロペス、ペピージョ、カンパナル、ライムンド、ベロカル

 

2. ラシン・デ・フェロル: アルベルティ、カリチェ、モレノ、ベルトリ、シルボサ、ベステレチェア、レレ、ガジャルト、バリオ、エデルミロ、ポルトゥゲス

 

得点: 1-0 11分、ライムンド, 2-0 20分、カンパナル, 3-0 27分、カンパナ, 4-0 37分、ライムンド, 5-0 41分、トロンテギ, 5-1 シルボサ(PK), 5-2 シルボサ(PK), 6-2 62分、カンパナル

 

審判: アリバス・セイハス

 

記録: スペイン・カップ1938/39決勝、モンジュイック・スタジアム(バルセロナ)、1939年6月25日。セビージャが30年代に購入したバスは、すでにスペイン・カップを2度も運んでいます。